もともとは平安時代の貴族の習慣で、重陽の日に菊の花に植物染料で染めた真綿を被せ、明くる早朝に朝露を含んだ綿を菊より外し、その綿で体を拭えば菊の薬効により無病であるとされました。
室町時代には菊酒という菊を浸した酒を飲むことも行われるようになりました。
これもまた、中国の伝説に、上流に菊の花園がある滝の菊の花びらが漬かった水を飲んだ人が長寿を得たという話があり、また能の「枕慈童」に中国の故事として菊の露を飲んで不老不死になった少年が登場するなど、菊を服用して薬効を得るというのはもとは中国の習慣だったようです。
元来折形は、武家の秘伝で、家々の中での口伝によって守り伝えられました。
江戸時代になると、和紙が安価に大量に出回ることで庶民の生活に溶け込んでいき、冠婚葬祭に配る赤飯や餅に添える塩やきな粉を紙で包んで添えるというような使い方をするようになりました。
昭和初期くらいまでは女学校などで作法として授業に取り入れられ、各家庭で必要なときに自分で作っていたそうです。
しかし、第二次世界大戦終了後、学校教育が一変し、学校教育で折形礼法が扱われることはなくなりました。
和紙特有の品の良さと「折形」の端正な美しさ、その歴史的な背景にあるおもてなしの心や相手に寄り添う気持ちを伝えられる折形の素晴らしさが再認識され、日本の伝統的な文化の一つとして受け継がれていくことを心から願っています。